われはうたえども やぶれかぶれ
セミナー 四方山の追加です。小説の話をした時にあげた『われはうたえども やぶれかぶれ』、室生犀星 昭和36年の作品。死の数ヵ月前の病に苦しむ犀星自身が題材だが、その哀惜極まりない様子が、むしろ滑稽に感じられる。
病に衰弱していく過程を読まされても、一体なんの意味があるんだろう。小説家の業に付き合わされるのは勘弁してもらいたいし、まあ時間のむだってとこだが、やはり一級の芸術的価値がある。
老いと病に苛まれた自分の生理的身体が、まるで別の生き物のように、感覚や意識が受け取っている日々の描写が素晴らしい。
別物のように苦痛として意識されるしかない自分の生理を、嘆くでもなく恨むでもなく、じっくりとただつきあってるという日々。
これは一流の観察者の眼だ。
だから読んでいると、滑稽さを感じたり、ふふっと微笑んだりもできるのだ。
十代の終わり頃に初めて読んだ。不思議と爽やかな読後感だったことを覚えている。
皆さんはなにを感じられるだろうか。文庫本で70頁の小品です。
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