Suzukiメソッドに見た「人間の不変性」ーSCOT演劇の神髄ー
富山駅からバスで2時間余り。険しい山間部を抜けて到着したのは人口500人の利賀村。世界の演劇祭「SCOT SUMMER SEASON」が毎年夏に開催される時期、この村には大勢の演劇ファンが訪れ世界から注目されるそうだ。演出家の鈴木忠志さん率いる劇団SCOTによる国際演劇祭が連日にわたり10日間行われる。
当マーケティングサロン顧問の浅香氏に誘われ好奇心だけでついて行くことにしたが、2日間たっぷりと演劇を鑑賞させてもらった。人生で演劇を見たのは数えるほどしかなく、まして目の前で繰り広げられるギリシャ悲劇などチンプンカンプンであるが、ジュリアーノ音楽院などで取り入れられている「SUZUKIメソッド」とは何かを今回自分なりに解明したいと思っていた。鑑賞した内容を振り返りながらそこで感じたことを思いのままにできるだけ率直につづりたいと思う。
8月25日(土)1日目
インドネシア・日本共同制作「ディオニュソス」
構成・演出:鈴木忠志
原作:エウリピデス
宗教と政治の衝突により解体される国家と犠牲になる個人の葛藤を表現しているこの演劇は、出演俳優15人のうち日本人(SCOTの俳優)は一人だけ、中国人一人、あとはすべてインドネシア人であった。しかも同じインドネシア人でも出身の島が異なり言葉が理解できないそうで、ほぼすべての俳優同士、言葉が理解できない状態であったらしい。
写真:朝日デジタルより
しかし、台詞が発せられる間合いの絶妙さ、発せられる声により伝わってくる感情は言葉の壁を越えて心に届いてくる。ギリシャ悲劇に描かれる人間の怒りと悲しみの感情。そのトリガーは何千年経ても変わることはない人間の営みからやってくるのであり世界共通の「言葉」なのかもしれない。
舞台の脇に流れる字幕(日本語、英語)を最初のうちは目で追っていたがやがて止めることにした。(自身ストーリーを理解できていないという最大の問題があるように思われるが。。)
その国の言語が話せなくても伝えたいという気持ち、体での表現で感情は伝わるものだ。もしかすると言葉は余計で感情を声や体を張って伝えることでのほうが人間の心に届くのかもしれない。
後に「鈴木忠志トーク」で鈴木さんがおしゃっていたが、集団で行動するとき、その集団の営みには必ず暗黙のルールが存在するそうだ。それに従い行動するとき集団による創造性が発揮される。
この舞台は利賀村での講演後、ジョグジャカルタにある世界遺産、プランバナン寺院の前に創られた屋外劇場でも公演されるようだ。まさにこれが国際交流、いや交流を超えた国際理解であると強く感じた。
「世界の果てからこんにちは」
構成・演出:鈴木忠志
世界演劇フェスティバル利賀村でも代名詞となる、池をバックにした屋外劇場で壮大に打ち上げられる花火とともに行われる演劇は鈴木氏独自の「日本論」を表現した舞台。
一見、夏の夜空に彩られる花火にうっとり、圧巻の演出を楽しめるフェスティバルのようだが、見ている間、痛切なリアリティが襲ってくる。その花火は、池の向こうの林で炸裂すれば、第二次世界大戦中のシンガポール戦線であり、ロケット花火が池をまたいで交互に発射されれば特攻隊、はたまた利賀村の夜空に打ち上げられれば、戦後の経済成長に沸く日本の様子であったり(もしかしたら間違っているかもしれません)と、戦前、戦中、戦後の場面をいったりきたりする、場面のコラージュで構成されている。まさに目の前で繰り広げられるこれらの場面があたかも自分が経験しているかのごとくリアルに感じられる。
とある老人養護施設の院長が車椅子に座った状態で一点を見つめたまま沈黙の状態から場面はスタートする。この日本人の男が主人公。戦前の狂信的な日本主義者であり、戦後の合理主義的経営者の2面の顔を持っている。
その主人公のもとに戦死した元日本軍の男たちが死の世界から亡霊となって車椅子に乗って次から次えと足で車椅子を力強く漕ぎながら舞台へ進んでくる。この時の台詞が印象的で演劇後も頭に残り続けた。男たちは先頭のリーダーが発する声を複唱する。
「歴史よ、それをすてられたら、お前は休めるのに、眠れるのに、だがそれまでは、・・・・歴史にもおさらば、記憶にもおさらば、だが終ってみると、そいつもよくない・・・・」「それで充分・・・・」
戦前、戦中、戦後社会をいったりきたりする、今はそれらとつながりがない非連続的時空に生きる社会なのか。その間で「思考する」ことの大切さを訴えているように感じられた。
ちなみにこの男たちのリーダーは韓国人の俳優によって演じられている。
小川順子の歌う「夜の訪問者」が突如流れる。花火が打ち上げられる。1975年の昭和時代、人々は何を想いこの曲を聴いていたのか。
俳優という職業は「稽古」と「舞台での演技」という作業の繰り返し、しかも「世界の果てからこんにちは」は同じ構成で1982年から繰り返し行われている。しかしその繰り返し、思考状態を維持する緊張こそが俳優業の生き様なのかもしれない。
鑑賞後、これらの俳優と生で舞台を通して時間を共有できた喜びで心が一杯になった。そして1つの疑念がつっかえる。「歴史に、記憶におさらばはできない」と。
8月26日(日)2日目
「トロイアの女」
構成・演出:鈴木忠志
原作:エウリピデス
西洋文化の発祥の地、ギリシャが生んだ文化遺産「ギリシャ悲劇」を鑑賞するのは初体験。ストーリーはまったくの無知。事前の情報収集で分かったいた内容はこれくらい。
トロイア落城後、生き残った女性たちだけがギリシャへ奴隷として連れて行かれるのを待っている情景が描かれている。
戦争という残酷さ、そしてトロイアのような文明が消える惨さ、女性たちがすべて連行される様子は子孫の断絶を意味する。この状況下における人間の恐怖、怒り、悲しさ、言葉では到底表現できない感情が全身全霊、声とカラダで表現される。その発せられるエネルギーに思わずのけ反ってしまった。
(ところで、俳優の太腿やふくらはぎに宿る筋肉、動きのしなやかさと力強さは、
稽古における俳優の肉体との不断の戦いを感じさせられた。)
この情景は何千年も前のことであるが、至る国の敗戦後の心情を写しだしているように思われた。そしてそれがまさにいまそこで起こっているようにリアルに伝わってくる。
今回の世界演劇祭で鑑賞した演劇を通して、SUZUKIメソッドに触れて、大変刺激をもらった。そして、西洋と日本、またアジアの国々との空間、歴史の時間を超えても存在しうる「人間の持つ不変性とは何か」について考えさせられた。
鈴木氏曰く、「人間には大きくわけて二通りのタイプが存在する。目標到達に70%のところで満足する人。そこから目標到達まで努力する人。この30%を何とかしようとするところに人間のエネルギーが宿るのだ」
SCOT軍団に宿るこの精神性こそが人々を魅了する源泉なのではないか。
自分は、もちろん前者。
そうそう、もうひとつ、鈴木氏のトークから。「自分はできないとへりくだるのはいいが、開き直る人がいる。これはもうダメ」
さて、来年は、日本・ロシア共同開催で「シアターオリンピックス」が利賀/黒部で行われる。今年SCOT T-shirtを買えなかったので、来年は仲間入りできるか。この1年の過ごし方で判断してみよう。
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