続・ソロめし 青空ごはん
前回は「ラーツー」と言うシーンから、ソロめしと言うことの持つ価値について書いてみました。それはそこに登場するメニューがどれだけ立派で豪勢かと言うことより、その食シーンにどれだけ主人公が手間暇をかけているかこそが、その価値の源泉である。そしてその手間暇、時間のかけ方が立派な材料選びや、手作り調理をどれだけちゃんと時間をかけているかとは、関係がないことこそがポイントだと言うことが重要なのです。
これは「ごちそう」と言うことの定義そのものだと言っていい。
一人のシーン、ソロめしだからこそ実現できること、たとえばメスティンで一合の米と缶詰めを使って、一人前の炊き込みご飯を作って楽しむことなどもそうと言える。ごはんを一から炊いているとは言え、ある意味手軽、簡便、時短とも言え、それを作ることにこだわりを持って手間暇をかけているかこそが重要なのです。
また、全く馴染みのないメニューではダメだし、でもこんなソロシーン、ソロめし、そして青空ごはんのシーンだからこそ、普段はあまりやらないことが楽しみ甲斐になると言うことになる。
そこでは道具、ギアに少しこだわりを発揮することも、独特の価値になっています。もちろん道具にはそのシーンならではの機能性、合理性がこめられていてこそ価値が発揮される。たとえばメスティンなどもそう、これは軍使用の飯ごうのようなもので軽くて極めて機能的に優れている。
これらの道具に特有のこだわりを見つけだしていることも「ごちそう」の定義の重要な一つなのです。
同じようなことは、コーヒーを楽しむと言うシーンにもたくさん出現している。
ソロシーン、ソロめしを楽しむことには、青空コーヒーは必須のアイテムだとも言え、僕の言い方だとソロドリップ、つまりお湯を沸かしてドリップすると言う手間暇の美味しさなのです。ここではお湯をわかすことの時間は時短の対象には決してならないのだ。
青空ごはんとしてのソロめしは、食の持つ楽しさと言う本来の価値がたっぷり詰まっている。
コーヒーのソロドリップ、一人前の炊き込みご飯であるソロメスティン、ソロワイン、ソロバーボン……。そして、青空の下での、他人に気を遣うことなく楽しむことのできるソロスモーキング。
ソロめしは、孤食と言う言葉の持つ響きとは真反対の、食シーンの持つ重要な価値のあり方と「ごちそう」とは何かを教えてくれている。
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